アフリカ随一の高原大都市アディスアベバ視察記🇪🇹〜S2EP12

エチオピア滞在7日目。

最終日です。

この日は、首都アディスアベバの主要名所を巡ります。

最後に、ラディソン・ブル・ホテルの視察も行います。

アディスアベバは世界で最も標高の高い首都の一つ

世界で一番標高の高い首都はボリビアの首都ラパス(標高約3,650m)、その次にエクアドルのキト(標高約2,850m)、コロンビアのボゴタ(標高2,600m)と並び、4番目にエチオピアのアディスアベバとブータンのティンプー(標高約2,350m)がリスト入りします。

高地に馴染みの無い方は、飛行機で東京の様な海面レベルからアディスアベバに降り立つとその酸素の薄さに気付くかもしれません。

筆者も2010年に最初にアディスアベバに降り立った時は空港の外でタクシーに乗る時に息切れした思い出があります。

アディスアベバでは、同じ様な高地から到着しない限り初日は余裕を持った行動をする事をお勧めします。

標高3,000mを超えるエントト山へ

この日はアディスアベバで最も歴史のある北部へ向かいます。

標高約3,200mのエントト山です。

19世紀、近代兵器でエチオピアの植民地化を目指すイタリア軍を圧勝させたメネリク2世皇帝が首都をアンコバルからここエントトへ遷都しました。

山頂付近にはメネリク2世皇帝の質素な宮殿と、エチオピア正教会、そして近年開発が進むエコをテーマにしたエントトパークがあります。

ここから眺めるアディスアベバ市街の景色も良いです。

まずは北部へ向かう際に見かけるメヤズィヤ27広場にある、イタリアの占領から解放された記念碑(2回目での戦争ではアディスアベバはイタリアに数年間占領されました)がラウンドアバウトに建てられています。

メヤズィヤ27広場の記念碑
メヤズィヤ27広場の記念碑

アディスアベバの全景を撮影するには、エントト山の頂上まで向かうよりも中腹あたりから眺められる全景がより近くて地図感が掴めます。

エントト山の中腹から眺めるアディスアベバ市街
エントト山の中腹から眺めるアディスアベバ市街
エントト山の中腹から眺めるアディスアベバ市街
エントト山の中腹から眺めるアディスアベバ市街

そして山頂付近にある、メネリク2世皇帝の宮殿。

宮殿とは思えない質素な作りですが、それがまた良いのかもしれません。

メネリク2世皇帝の時代にエチオピアはアフリカで唯一、侵略してくるヨーロッパ勢力に対して勝利する事ができたおかげで、エチオピアには色濃く文化が残っています。

メネリク2世の宮殿
メネリク2世の宮殿
メネリク2世の宮殿
メネリク2世の宮殿

宮殿に隣接するエントトマリヤム教会は、メネリク2世皇帝が1877に建造し、皇帝と妻のタイトゥ皇后が眠っています。

このタイトゥ皇后はイタリアを撃退させたアドワの戦いで何と自ら兵士を率いて突入した、とても勇敢のある女性だとされています。

戦争で女性の王族が軍を指揮をすると言うのは歴史的にもかなり異例です。

エントトマリヤム教会
エントトマリヤム教会

歴史に興味が無ければ、近年開発が進むエントトパークがあります。

ここからアディスアベバの一望ができますが、あまりにも公園の標高が高いため眺望がとても遠く感じるかもしれません。

エントト公園
エントト公園

エチオピアとイタリアの複雑な歴史

エチオピアは確かにヨーロッパ諸国による植民地化は1896年にイタリアとエチオピアの間で勃発したアドワの戦いの結果にてエチオピアの勝利により間逃れましたが、ここで終わりではありません。

イタリアは、20世紀に入りムッソリーニ政権になってからもう一度、エチオピアの占領を試します。

1935年に侵攻を始め、この戦いでは見事エチオピアは敗れ、アディスアベバを始め多くの地域はイタリアの占領下になりました。

しかし、第二次世界大戦に突入してからイタリアの戦力は弱まり、次第に敗戦国となります。

この間、イギリスの力を借りてエチオピアは全土をイタリアから奪還しました。

1941年のお話。

たった数年間だけのイタリアの占領時代ですが、この間にアディスアベバは開発され、今でもお洒落なイタリアンレストランが多く集まり、どれだけ地方都市へ行ってもスパゲティだけは必ず見かけるので意外にイタリアの影響は結構あります。

アドワの戦いを表したアート
アドワの戦いを表したアート

↑民族学博物館の展示アート。

イタリアに圧勝したアドワの戦いを表しています。

興味深いのが、絵画の左下に描かれた馬に乗った女性。

こちらが、当時の軍隊を指揮したタイトゥ皇后です。

アディスアベバ大学内民族学博物館
アディスアベバ大学内民族学博物館

アディスアベバにはいくつか博物館があり、人類の祖の化石、ルーシーが展示された国立博物館が最も有名です。

が、もしエチオピアの文化自体に興味があるのであれば、アディスアベバ大学内の民族学博物館の方が見応えがあるかもしれません。

アディスアベバの高層ビル群
アディスアベバの高層ビル群

アディスアベバは高層ビルが沢山見かける様になりました。

多くは中国の資本による開発であり、チャイナパワーはここエチオピアでは結構本領発揮しています。

エチオピアのお土産に最適:良質コットンのサバハール

アディスアベバの中心部から離れますが、もしエチオピアからのお土産で喜ばれるものとしたら(特に女性)、良質コットンのショールやスカーフ。

サバハールはコミュニティ促進型団体で、貧困家庭で育った織物の職人、特に女性の方々を集めて、手作りの商品を販売しています。

利益は従業員の生活向上のために分配され、子供達の教育費用等にも宛てられます。

値段も良心的で買い手としても嬉しい。

ホームページもオシャレなので是非見てみて〜。

サバハールショップ
サバハールショップ
サバハールショップ
サバハールショップ
コットンを作るエチオピア女性
コットンを作るエチオピア女性

昼食はイタリアン

流石首都だけあって、イタリアンレストランは洗練されています。

生憎このレストラン名は思い出せない・・・

アディスアベバのイタリアンレストラン内
アディスアベバのイタリアンレストラン内
ブルスケッタ
ブルスケッタ
ステーキとパスタプレート
ステーキとパスタプレート

↑ビーフステーキ、チキン、パスタが入ったプレート。

ボリュームがあり、美味しかったのですがまだオモバレーで食べた生肉のキットフォが原因で腹の調子が微妙だったため、しっかり味わえる事はできませんでした。

エチオピア正教会の総本山

アディスアベバにはエチオピア正教会の総本山である、三位一体教会があります。

イタリアの占領から解放された直後の1942年に建設され、立派なステンドグラスが特徴。

敷地内はエチオピアの皇族の墓が並びます。

三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会
三位一体教会

エチオピアと言えばコーヒー!アディスのコーヒーと言えばトモカコーヒー!

トモカコーヒー(Tomoca Coffee)は、アディスアベバ市内に数店舗運営しているカフェチェーン。

その中でも、最も風情があるのは恐らく旧アディスアベバ駅構内を改装した店舗。

旧アディスアベバ駅
旧アディスアベバ駅

この旧アディスアベバ駅は1894年にフランスが当時植民地していたソマリランド(現在のジブチ)と内陸国エチオピアの貿易を活性化させるために建造され、エチオピアで唯一の鉄道がジブチシティーまで結びました。

この駅は別名ル・ガール(フランス語でザ・駅)です。

現在では、中国資本によって建てられた新しい線路が両国を結び新しい駅が作られたため、この旧駅は鉄道駅としての役目を果たしました。

100年前の建物なので重厚感があります。

旧アディスアベバ駅内のトモカコーヒー
旧アディスアベバ駅内のトモカコーヒー
旧アディスアベバ駅内のトモカコーヒー
旧アディスアベバ駅内のトモカコーヒー

ここで本場のモカコーヒーを数袋お土産用として購入しました。

おまけ:ラディソン・ブル・ホテル・アディスアベバを視察

ちょうど現在宿泊しているジュピターインターナショナルホテルの隣に大手外資系チェーンのラディソンホテルが位置していたので、視察する事にしました。

ここはエチオピア航空のビジネスクラス利用者がアディスアベバでトランジットの際にも案内されるホテルの一つです。

ラディソンホテルは正直あまりラグジュアリーにイメージが無いのですが、アディスアベバのホテルは強気の価格設定で設備が充実したとても雰囲気が良かったです。

ラディソンホテル外観
ラディソンホテル外観
ラディソンホテル客室
ラディソンホテル客室
ラディソンホテルのルームサービス食事メニュー
ラディソンホテルのルームサービス食事メニュー

訪問時の2022年、為替レートは1エチオピアブル=約2.5円でした。

そう考えるとルームサービスでステーキやハンバーガーが2,000円以下で注文できるのはこのレベルのホテルだと良心的かもしれません。

ラディソンホテル客室バスルーム
ラディソンホテル客室バスルーム
ラディソンホテル客室バスルーム
ラディソンホテル客室バスルーム
ラディソンホテル客室バスルームアメニティー
ラディソンホテル客室バスルームアメニティー
ラディソンホテル客室バスルームアメニティー
ラディソンホテル客室バスルームアメニティー
ラディソンホテルの夕食ビュッフェ
ラディソンホテルの夕食ビュッフェ

まとめ

アディスアベバには「わーお!」と叫べる様な名所はありませんが、インフラ設備が微妙な地方から来ると発展ぶりに救われます。

やっぱり食事は洗練されている!

車の渋滞が結構やばいので、一日で回れる箇所は限られますが、歴史が古く遺跡や博物館が多いので飽きません。

アフリカの首都の中では個性が強く、トランジットでも十分に楽しめる街でしょう。

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