涙が止まらなかったチャンギ空港

最近ラウンジ訪問記ばかりで恐縮です。

プライオリティパスをゲットしてから、どうしてもその空港にある全ての対象ラウンジが興味あるので、ついつい訪問してしまい、結果同じ様なレビューがめっちゃ増えてしまいました。

早くこの旅のハイライトであるカタール航空のビジネスクラスやエミレーツ航空のファーストクラスの搭乗記まで進みたい!

今回は、少し僕の過去について触れたいと思います。

飛行機に興味が生まれたのは父のお陰

そもそも、ここまで僕が航空マニアになったきっかけは、昨年70歳で亡くなった父の影響でした。

父は某新聞記者で、外信部を担当していたので海外駐在や出張がとても多かったのです。

僕の幼少期は、その連れとしてバンコクとデリーに暮らしていました。

その頃から、父の出張に家族で同行したり、小学生になれば父と僕2人だけで旅行した事が数回あります。

父の事務所にはいつもOAG社が発行する飛行機の月刊時刻表があり、それを眺めに行くのがとても楽しみでした。そこから、僕の飛行機に対しての熱情が生まれたのです。

飛行機に乗る際には、いつも父は僕に相談してくれました。

「今回は何航空にしようか?」

「2階席が確保できたよ(当時主流だったボーイング747機)」

「〇〇航空のファーストクラスが安く手に入りそうだから、それ乗りに〇〇まで行くか※」

※当時90年代のファーストクラスは、今の様なとんでもない価格設定では無く、エコノミーにそこそこ足したぐらいの金額で手配が可能でした(ましてや現地発券だと)。フラットシートなんて無かったですし、今みたいに豪華では無かった時代です。

わざわざ僕の乗りたい機材が早朝5時台という鬼の様な出発時間帯にも関わらず、もっと便利な時間帯の便があるのにそれを指定してくれた事もありました。

そして出張時のお土産にはシャバック社の飛行機の模型をお土産に持って来くれたりと、本当に優しい父でした。

成長と共に心が離れ始めた

中学生以降は、色々と事情があり、父と一緒に暮らす機会があまりありませんでした。

僕は相変わらず航空関連の熱意は増しますが、時間の経過と共に父に対して厳しい目線が働き始め、それは亡くなる直前はもっと酷くなってしまいました。

最後の3年間、元々あった家庭内でのストレスが原因か、精神病によって体が動かなくなってしまい、ずっと介護生活。

主に母が面倒を見ていましたが、時には僕が施設での手続きやトラブルを対処しながらも、決して愛情を持って対応したとは言えません。

父が亡くなった時はそこまで感情的にならなかったのですが、何故かその1年後のここチャンギ空港で急に昔の事を思い出し始め、涙が止まらなくなったのです。

30年前と変わらぬチャンギ空港

著しく変化するアジアの大都市の空港で、唯一、昔ながらの面影が残る空港がシンガポール・チャンギ国際空港。

第3、第4ターミナルは21世紀に入ってから建てられたものの、第1、第2は綺麗に改装工事されていながらレイアウトはほぼ80、90年代から変わらないのでとても懐かしいです。

チャンギは昔よく家族で訪れ、思い出がたっぷりある空港です。

父は東南アジアが大好きで、普段仕事のストレスで疲れ切っていた時とは違い、いつもこの地域に来るととても生き生きしていました。

今回の旅で次に向かうマレーシア航空の出発が遅れたため、第2ターミナルをウロウロ散策するとその時が鮮明に浮かび上がった。

当時の記憶と、「あぁ、亡くなる前に一緒に旅行に連れて行きたかった」という悔いが合致してしまったのです。

涙がやばかった!ずっと下を向きながら、歩き続けていました。

改装後のチャンギ第2ターミナル
改装後のチャンギ第2ターミナル

元気な内にビジネスクラスに乗せられたのがせめての救い

父が動かなくなってしまう直前まで、退職後にフリーランス記者を勤めていたのですが、父の人生最後の飛行機チケットは偶然にも僕が手配しました。

日本の全体的な購買力低下と共にビジネスクラスに乗る事がとても贅沢になってしまい、父も長年ずっとエコノミーやLCCしか乗っていないので、ポイントを駆使して、ビジネスクラスのチケットをプレゼントしました。

父の大好きだったタイ国際航空で羽田→バンコクをマイルセール時に購入したエーゲ航空のポイントを特典航空券にして。

その次のバンコク→香港のキャセイビジネスクラス、及び香港→羽田のJALビジネスクラスをアラスカ航空の裏技経由で。

この出張の2ヶ月後から大幅に父の体調が悪化し始めました。

まとめ

中学生以降はあまり愛情を持って父と接する事ができなかった。その反面、僕が大学卒業後に海外で会社経営していた際も、父は退職後にも関わらず、日本で淡々と僕の国民年金を10年以上も払い続けてくれていました。複雑な気持ちがあろうとも、「感謝の気持ちを想う」という行動に早く切り替えていれば、後悔は抑えられていたでしょう。

90年代のネパール・カトマンズにて
90年代のネパール・カトマンズにて

↑こんな小さくても、その時利用した飛行機の思い出残っているのですよね。

当時はデリーに暮らしており、デリーからカトマンズはまでは旧ロイヤル・ネパール航空(現ネパール航空)を利用して、その時に食べた機内食のケバーブがとても美味しかった記憶が今でも鮮明です^^

スパム防止のため、コメントは管理者が承認してから反映されます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

最近の投稿

キャセイ航空の広告

LGBTQ+に優しいアジアの航空会社5選

西洋諸国の航空会社は2010年代になってLGBTQ+に対して寛容になってきていますが、アジアでは近年徐々にオープンになりつつあります。 ここで言う「寛容」とは、航空会社自体が性的マイノリティーに対して

もっと読む>

アーカイブ

過去投稿
上部へスクロール