究極パワースポットのシナイ山でトレッキング

今回のカイロでのトランジット時間はわずか28時間程。その間に、飛行機で往復シャルム・エル・シェイクへ飛び、そこから片道2時間半程かかるシナイ山の麓サーント・カトリーン村へ。現地に夜着いて、深夜の内にトレッキングをして朝日を眺め、下山してそのまままた空港へ向かうと言う超ハードスケジュールです。本当はもっとゆっくりしたかったのですが、既に長い休暇で同僚に迷惑を掛けたくないため、極力短時間で目的を果たす方法にしました。

シナイ半島は僕の心の故郷です。今回で5回目の訪問となり、エジプトを訪れる度に必ず行きます。これには深い理由があり、僕がカイロで留学していた時(当時21歳)、心がめちゃくちゃ荒れていました。人生が辛く、孤独だったのですが当時留学していたカイロ・アメリカン大学の地質学のクラスで行ったシナイ半島2泊3日の調査旅行がきっかけで、この時、ちょうど調査で訪問中のシナイ山麓にあるサーント・カトリーンのホテルでとても不思議な体験をしました。このブログではあまり宗教やスピリチュアル系の話はしたくありませんが、簡単に話すとそれに似た様な事です。心が何故かいっきに晴れ、心の病が吹っ飛ぶ勢いだったのです。

さすが、旧約聖書に掛かれている通りここシナイ山はモーゼが民をエジプトから迫害を受けてイスラエルへ移動するときにここで十戒を受け、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の基本の教えとなった場所だけあります。

その摩訶不思議な体験以降、自分の人生が凄く変わったと思います。もっと自信が付き、生かされている感を感じる様になりました。現在こうやってインドで起業して好き勝手な人生を送らせて頂いているのも、ここが原点なのでは無いかな、とも思っています。

なので、短くても行けるなら行きたい!と言う思いで、勢いに連れられて戻ってきてしまいました。シナイ山登山は、今回が4回目です。

シャルム・エル・シェイク空港からサーント・カトリーン村までの移動。快適なハイウェイを時速120キロのスピードで走ります。シナイ半島は極端に人口密度が低いため道路はほとんど車が走らず、自分だけの世界が広がります。また、道路の舗装状態もとても良いです(エジプト全体的に言えます)。サーント・カトリーン村は標高が約1,500メートルあり、真夏でも朝晩は羽織るものが必要な程涼しいです。更に標高の高いシナイ山の山頂(約2,200メートル)になると、夏でも明け方は冷たい風がびゅんびゅん吹きダウンが無いとかなり寒いです。

シナイ半島の荒野
シナイ半島の荒野
ドライバーが道沿いで夕方のお祈りを
ドライバーが道沿いで夕方のお祈りを
サーント・カトリーン村へ向かう道
サーント・カトリーン村へ向かう道

宿泊先は、2年前に訪れた際にも泊まったベドウィン・キャンプ。ここはアットホームな宿で食事が家庭的でめちゃくちゃ美味しいのです。前回泊まった時の体験談はこちら

キャンプ入口
キャンプ入口
チキンとシチュー、ライスの夕食
チキンとシチュー、ライスの夕食
宿の人達と
宿の人達と
お部屋
お部屋
バスルーム
バスルーム

お部屋は、シンプルで清潔。バスルームではホットシャワーも浴びられ、料金は1泊EGP 100(約1,300円)。エジプトは物価が安くてもクオリティーが高いので、良いです。

まずは3時間程睡眠をしてから、夜1時にトレッキングへ出発です。日の出は4時50分頃。宿から山頂までは、3時間半程歩きます。ちょっと写真がぶれていますが、夜の星空は最高に綺麗でした。流れ星もいくつか。

星空
星空
途中の売店
途中の売店

4時になると、地平線が少し明るくなりました。まだ途中なので、急いで山頂へ向かいます。

地平線
地平線
山頂に近づきます
山頂に近づきます
大分明るくなりました
大分明るくなりました
世界最古のキリスト教僧院
世界最古のキリスト教僧院
肩車で親子連れ
肩車で親子連れ
心が洗われます
心が洗われます

シナイ山山頂になんとか日の出15分前に到着できました。結構山頂は狭いです。適当に景色の良い岩の上を探します。下手をすれば、1,000メートル落下してしまうのでここは慎重に歩きます。

そして日の出。

シナイ山 登頂:日の出を眺めるエジプト人
日の出を眺めるエジプト人
日の出
日の出

そして周りの山々が赤くなりました。

隣には、エジプト最高峰のカトリーナ山がそびえ立ちます。ここは2年前にトレッキングをしました。カトリーナ山と比べるとシナイ山のトレッキングの方が楽です。

エジプト最高峰カトリーナ山
エジプト最高峰カトリーナ山
最高の景色
最高の景色
記念撮影
記念撮影
山頂の教会
山頂の教会
途中の景色
途中の景色
ラクダでトレッキングする事ができます
ラクダでトレッキングする事ができます

シナイ山は、途中までラクダでトレッキングができます。最後の700段だけは、徒歩のみとなります(この区間は約30分の登山です)。

下山途中、モーゼが杖を突いたら湧き水が出てきたと言われている岩に寄りました。流れた水の跡があります。

モーゼの岩とガイドのムハンマドさん
モーゼの岩とガイドのムハンマドさん

帰りは2時間ぐらいで宿に到着。既に空は真っ青。

サーント・カトリーン村の朝
サーント・カトリーン村の朝

余談ですが、シナイ半島は1967年~1982年まで、イスラエルの占領下にありました。エジプトが67年戦争で負け、イスラエル領になったためです。その後の平和合意により、1982年にエジプトへ返還されました。

面白いのは、シナイ半島の人々は純粋なアラブ人ですが地元の人達はイスラエル統治時代を懐かしく語ります。あれだけ、現在アラブとイスラエルの間に問題がありながらそれを聞くのは意外でした。どうやらイスラエルはシナイ半島にインフラを設備投資し、地元住民へ教育をしっかりさせ、生活水準も向上させた。エジプトに返還された時は当時は地元住民も喜んだらしいですが、その後エジプト人によるシナイの人達への差別意識も出来る様になり、生活水準も上がらず、状況は少々複雑な様です。確かに、シナイ半島の地元の人達は静かなベドウィン(遊牧民)で、陽気で気さくで話好きなエジプト人とは人種が異なります。

これは台湾と日本の関係を思い出させました。台湾の人は日本統治時代を懐かしく語る人が多いと言いますが、その理由は後から台湾にやってきた中国国民党の統治があまりにもひどく、日本は実は台湾にインフラ投資をして発展させ、比べてみると日本統治時代のありがたみが解った。反対に同じ日本領だった韓国や北朝鮮は「反日」で知られていますが、他国に侵略された経験が無いから比べる対象も無く、台湾とは異なったメンタリティーを持っているのかな、と考えさせられました。ちょっと話をすり替えれば、韓国・北朝鮮が日本へ想う気持ちと、現在のパレスチナのイスラエルへ想う気持ちが似た状況なのかな。

何はともあれ、サーント・カトリーンやダハブ、シャルム・エル・シェイクのあるシナイ半島南部は非常に治安も良好ですし、エジプト軍も多く駐留し、お互いの関係も良さそうです。良くニュースで流れる治安問題はシナイ半島北部であり、ここがいわゆるテロリストやISが活発化している地域になります。シナイ半島南部は各ベドウィンの部族による強い統治がされているお陰で、治安が良いそうです。

最後に、宿のオーナーとその息子達と記念撮影。

オーナーのSaleh氏と子供達
オーナーのSaleh氏と子供達
シャルム・エル・シェイク空港付近
シャルム・エル・シェイク空港付近

あっと言う間の滞在でしたが、いつもの様に非常に来た甲斐があります。

次はカイロへ飛びます。

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