インドのおもしろ国境地帯その5:バングラデシュ編
インドのおもしろ国境地帯シリーズ索引 その1:パキスタン その2:中国 その3:ネパール その4:ブータン その5:バングラデシュ(今回はこれ) その6:ミャンマー <インド・バングラデシュ国境> バ
インドのおもしろ国境地帯シリーズ索引 その1:パキスタン その2:中国 その3:ネパール その4:ブータン その5:バングラデシュ(今回はこれ) その6:ミャンマー <インド・バングラデシュ国境> バ
以下、在インド日本大使館より正式な通達がありました。そのまま文章を引用します。 ●インド保健省は12月29日、日本を含む6か国(日本以外に中国、シンガポール、香港、韓国、タイの5か国)からインドに到着
インドのおもしろ国境地帯シリーズ索引 その1:パキスタン その2:中国 その3:ネパール その4:ブータン(今回はこれ) その5:バングラデシュ その6:ミャンマー <インド・ブータン国境> 両国の国
デリーは今寒波の真っ只中。とは言え、東京と比較すると気温自体は高いのですが、朝晩は霧が濃いので太陽は姿をあまり現さず寒々しいです。 この霧、実はデリーよりも、周辺地域の方が濃いのはご存知でしょうか?
インドのおもしろ国境地帯シリーズ索引 その1:パキスタン その2:中国 その3:ネパール(今回はこれ) その4:ブータン その5:バングラデシュ その6:ミャンマー <インド・ネパール国境> インドと
僕はデリーの冬が一年で一番嫌な時期に指定します。45℃を超える夏と比較しても。 ①大気汚染が酷い! 11月〜1月のヒンドゥスタン平野は乾季で降水量はほぼゼロ、風がほぼ無で大気がこもりやすく、様々な有害
インドのおもしろ国境地帯シリーズ索引 その1:パキスタン その2:中国(今回はこれ) その3:ネパール その4:ブータン その5:バングラデシュ その6:ミャンマー <インド・中国国境> 東西何千キロ
<前置き> インドと国境を有する国はパキスタン、中国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、そしてミャンマーの6カ国。仕事上、これらのエリアに携わる機会が多かったため、全て間近まで接近する事ができました
2018年に20代のアメリカ人宣教師が立ち入り禁止地域であるアンダマン諸島のノース・センチネル島へ一人で入境し、地元住民からやりで殺害された事が世界中のメディアに流れました。 ノース・センチネル島は、
インドの遺跡や博物館は外国人料金とインド人で入場料に大きな開きがあります。 2022年11月時点、デリーの世界遺産の入場料はインド人Rs. 50に対して、外国人はRs. 600。 アーグラーにある世界
先日調べ物していた時に、たまたまサーチで引っかかった5年前のブログ記事。元インド在住の著者さんで、以前直接やり取りもさせて頂いた事があり、懐かしいブログでした。でも、一点引っかかった事があったので、シ
実は新名所でも無く、2015年頃から存在していたそうですが全く知名度が薄かった。。。日本語でGoogle検索しても未だに殆ど情報が無し。なので、すしまる自らの勝手な判断として新名所とさせて頂きます。
さて問題。 デリーで一番歴史が古いエリアはどーこだ! ヒント:オールドデリーじゃないよ! 正解:メヘローリー(Mehrauli)だよ! オールドデリーが栄え始めたのは1648年、ここメヘローリーは70
4年ぶりのオールドデリー。 一点、大きく変わった点があります。それは。。。 名物のサイクルリクシャーが殆ど見かけなくなったー! 代わりに、見た目はサイクルリクシャーだけど実際は電動モーターが搭載された
数年ぶりに、日本から出張でKさんが訪印。ランチの場所を決めるにあたり、どこが良いか相談したところ、オールドデリーの Haveli Dharampura にあるレストランが懐かしいとの事。 え?どこ??
もうすぐ日本の夏休み♪ とは言っても、まだ入国制限のある日本で気軽に日本からインドへ旅行しまーす、と言うムードでは無いし、ましてやまたコロナ感染者が急増。 まぁ参考までに。 ①ダージリンとシッキム ヒ
この遺跡は以前は無料で入場が可能で、デリー市民の憩いの場になっていましたが、どうやら2019年初頭あたりから入場料を徴収する様になりました。なので決して新しいニュースではありません。。。 幼い頃から思
以前からイチオシしていたインドのホテルブランド、オベロイホテルズ。このホテルでは従業員が徹底した教育を受け、チームワークがしっかりしています。サービス面では世界最高峰レベルだと思います。 また、このホ
航空会社:エアインディア 便名:AI 890 フライト区間:インパール→デリー フライト利用日:2018年6月27日(水) 予定出発時刻:14:20発 実際の出発時刻:14:24発 予定到着時刻:18
日本から70代後半の女性旅行者の付き添いでマニプールの山奥へ慰霊の旅。日本にとって戦時中で最も悲劇だった場所でもあり、何万ともいう膨大な日本兵が戦い以外にも栄養失調・赤痢・マラリアなどによって亡くなり